解せぬっとよくつぶやいてた。現実は、そうでもない。
最近はそう感心していました。

わたしはいわゆる引きこもり。Z世帯と呼ばれているもの。
ひきこもり歴=生きる年。家族の目にわたしは異類しかない。親戚までわたしを嫌味するほど見られていた。他人の視線を無視するほどわたしは強くないから、いつもコンプレックスを抱えています。ふうつじゃない、ふつうになれないことがわたしにとって解せぬ。

わたしはふつうになれない道を選んでた、それは自らそれとも流れるままのか、とっくに考えたことない、誰でもないわたしは自分の道に着く、それだけ。

・・・そんなわたしが家族の誇りと見せられた日が来るなんで、家族がもうわたしを異類と見ていないこと。驚くほどわたしの叛逆を受けられた。

わたしはソフトウェアエンジニアの職についた、それからの五年目。わたしはあるきっかけを親父と連絡を取れた。わたしを誇れる子を見ていました。わたしの独立と自立のことが家族と親戚の間で流れたようだ、一人で海外に進出してく行動が大胆かつ無謀すぎて、でもわたしが褒められてた。

大学以来の初めての意識疎通、わたしの安否確認して満足の顔を見せてた。わたしをもう責められない歳になれたのかもしれません、家族がわたしから見て、わずか数年の程度ですごく老いてく。ほんとにみともないなぁ。その老いてた姿を見ているとなんだかもう文句を言うタイミングを過ぎてたよ。

時よ、ただ流るるままに